Roo's Labo

腕時計、ラーメン、読書、美術、ときどき仕事

北欧に思う(あるいは過剰品質の弊害)

出張で欧州某国を訪れている。白を基調とし整然とデザインされた空港の内装、都心にも関わらず時折訪れる静謐な瞬間を味わうたびに、北ヨーロッパはいいなと思う。

この地で働く同僚によると、当地の人は朝から働き始めて16時ころには仕事を終え出し、17時には帰宅の途に着く。残業の文化はないという。仕事をする人(供給側)の観点から見れば、無理にアウトプットを増やす努力をしないということになるし、需要家としてサービスを受ける側から見ると、ある一定以上の質以上の仕事は期待せず割り切ることが前提になっている。

翻って日本の働き方を考えると、長時間の残業をいとわず仕事のクオリティを高めようとする。それは、「道を究める」という一種の美学であるかもしれないが、結果としてものがあふれ、価格(価値)は低下してしまう。また、サービスについても「おもてなし」と言われるいわば過剰に丁寧なサービスを客から期待されることで、手依拠する側は精神的に疲弊する構造がある。

北欧のように、需要・供給サイドの双方が、一定以上の品質を超える仕事をしない、と割り切る方が、仕事と仕事以外のバランスが取れた人間らしい暮らし方ができるのではないかと感じた。もちろん簡単ではないけれども、一時帰国するたびに感じる相互監視に似た日本の息苦しさを緩和するためには、大きな発想の転換が必要ではないか*1

 

*1:そのためにも、職場以外の人とのつながりを保つことが重要だと思う。欧州にはおそらく宗教や地域といったコミュニティが形成されていて、仕事の場所にすべてを依存・コミットする必要がない環境になっているのではないか