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安倍晋三 『安倍晋三 回顧録』

最初に断っておくと、私は安倍晋三という政治家に否定的だ。外交安全保障分野で業績があるとは考えるものの、説明責任を放棄したような政治姿勢に、民主主義の政治家としてはふさわしくないと感じてきた。一方で、政治家の回顧録は好きな分野でこれまでも何冊か手にとってきた。評価の分かれる大物政治家の回顧録ではあるが、期待に違わず読み物として非常に面白く、2日間ほどで一気に読了した。

印象に残ったのは、以下の2点。特に後者は会社員である自分も、成果を上げるためには仕事相手にここまで気を使う必要があるのかという観点で学びになった。

① 首相という国の最高責任者という究極の立場で、困難な課題にどのように立ち向かい、どのように判断していたのか、その重圧や判断基準の一部が垣間見えて興味深かった。

② 民主主義社会の政治家として、有権者の歓心をどう得るか。政界でどのように仲間を作って自らの影響力を広げるか。ライバルと呼ばれる人や自分とは考えの異なる人々をどのように評価しているか。

通読して思うのは、安倍晋三という人は根本的には明るく、楽観的な方だったのだと思う。それが人を引きつける魅力でもあり、そのおおらかさがモリカケのような周囲の忖度だったり、政権批判のスキを生んだと考える。

以下は、個人的に印象に残った箇所のメモ。

日本の首相は、野党ではなく、党内抗争で倒されるのです。第2次内閣の時に英国のテリーザ・メイ首相と、大統領制と議院内閣制の違いについて話したことがあるのです。「大統領は反対党によって倒され、首相は、与党から倒される」。そう話したら、彼女は、その通りだ、と言っていました。彼女自身も、自らが所属する保守党に倒される形となり

外交で重要なのは、ルールづくりなんです。今までは欧米にルールをつくってもらっていた。日本は優等生で、ルールに従って言うことを聞いていた。でも勝負はルールづくりに参加することなのです。これは安全保障分野に限りません。例えばスポーツでいえばノルディック複合で、日本人選手が前半のジャンプでリードして、後半のクロスカントリーで逃げ切って勝利したら、ジャンプの点数の比重を下げるルール改正が行われてしまったでしょ。露骨な日本つぶしですよ。そういう意味で、あらゆる分野でルールづくりに参画しないと、国際社会ではダメなのです。  また、ビジョンを出すことも大切です。それが 16 年に提唱した「自由で開かれたインド太平洋」の構想です。法の支配に基づく自由で開かれた海洋秩序の実現を目指して、インド太平洋地域の国々で協力する、という目的があります。ただこれも、構想を出すだけではダメです。安全保障関連法が 15 年に成立し、ピースメイキングの国際協力にこれまで以上に貢献できる環境を整えたから、説得力を持つの

日本も役割を果たしていきますよ、とアピールできるようになった。ルールづくりへの参加とビジョンの提示は、第1次内閣で掲げた「戦後レジームからの脱却」そのものです。第2次内閣でようやく成し遂げることができ

増税を延期するためにはどうすればいいか、悩んだのです。デフレをまだ脱却できていないのに、消費税を上げたら一気に景気が冷え込んでしまう。だから何とか増税を回避したかった。しかし、予算編成を担う財務省の力は強力です。彼らは、自分たちの意向に従わない政権を平気で倒しに来ますから。財務省は外局に、国会議員の脱税などを強制調査することができる国税庁という組織も持っている。さらに、自民党内にも、野田 税制調査会長を中心とした財政再建派が一定程度いました。野田さんは講演で、「断固として予定通り(増税を) やらなければいけ

増税論者を黙らせるためには、解散に打って出るしかないと思ったわけです。これは奇襲でやらないと、党内の反発を受けるので、今井尚哉秘書官に相談し、秘密裡に段取りを進めたのです。経済産業省出身の今井さんも財務省の力を相当警戒していました。2人で綿密に解散と増税見送りの計画を立てまし

付言すれば、「期待値を上げすぎない」ということは政権運営の要諦だと思ってい

日本人の面白いところは、現状変更が嫌いなところなのですよ。だから安全保障関連法ができる時に、今の平和を壊すな、と反対していても、成立後はその現状を受け入れるのです。安全保障関連法成立後、しばらくたって「廃止した方が良いか」と世論調査で聞くと、廃止派は少数になるの

相手の懐に入れば、その人が経験してきた人生の一部を見ることができる。そこで初めて、影響力を行使できるのです。外野で何を言っても、相手は身構えるだけ

真珠湾と広島では、全く位置づけが異なるでしょう。真珠湾攻撃は、宣戦布告があった、なかったかは別として、戦略的な軍の目標地であり、軍隊同士の戦いです。日本は軍艦や飛行場を攻撃したのですから。病院を零戦が襲ったという話がありますが、でたらめです。亡くなった一般米国市民がいたのは確かだが、高射砲の破片などによる影響なのです。  一方、広島は軍人ではなく、民間人を対象にした無差別攻撃です。男は戦場にいて、犠牲者の多くは女性やお年寄り、子どもです。軍同士の戦いと、大量殺戮では全く違います。だから私は、もし広島にオバマが来るのであれば、その後、我々も別途、真珠湾訪問を計画する、という話をしたのです。それで米側も理解してくれまし

12 年の総裁選の前に、小池さんから「政治資金パーティーに来て、講演してほしい」と言われて、彼女のために講演したのです。野党時代は、パーティー券を売るのも大変でした。その代わり、小池さんは総裁選で支持してくれる、という話があったのですが、実際は石破さんを応援したのですね。菅さんは当時、私のために支持集めに奔走してくれていて、その経緯をよく知っていたのです。彼は、こういうやり方を絶対に認めない。私自身はそこまで気にしていなかったので、菅さんは私に「あんな目に遭って、よく許せますね」と言っていまし

トランプは大統領選で、TPPに反対し、為替についても日本はインチキをしていると言っていました。トヨタの批判もしていた。あたかも同盟を軽視するかのような発言もありましたね。日本がこうしたトランプの主張を深刻に捉えていなかったのは、当選しないと思っていたからでしょう。でも、当選した。没交渉であることはまずい、と思いました。すぐに信頼関係を築かなければならないと思い、そのためには、とにかく早く会うことが大事だと。だから、今までにはないけれど、就任前に会おうと考えたのです。トランプには、まず当選のお祝いの電話をし、「私はアジア太平洋経済協力(APEC) の首脳会議のためにペルーに行く。途中に米国に寄って会いたい。あなたがどこにいようとも、会いに行く。どこにいますか」と聞いたら、ニューヨークにいるというので、ペルーに行く前に会う約束を取り付けまし

就任前の次期大統領と会談するのは、現職のオバマ大統領に対して失礼だろう、という見方がありました。でも、そこは割り切って、クールにやろうと考えたのです。オバマだってクールな人間ですし。私がトランプと会う予定だとオバマ政権に伝えたところ、先方は、トランプと会食するのはやめてくれ、報道陣を入れて撮影させるのはダメだ、といろいろな注文を付けてきました。だから、その通りにしたのです。でも、かえってそれが、私とトランプとの間でじっくり話をする時間をつくることになり、信頼関係を築くきっかけになったのです。ニューヨークのトランプ・タワーに足を運んだ意義は大きかったと思います。国際社会全体からも注目されましたしね。 ── トランプ氏の第一印象はどうでしたか。どのような考えで会談に

まず、「特定の企業の名前を挙げて非難するのはやめてくれないか。これは企業にものすごいダメージを与えるし、そうした批判をやめれば、日本企業も米国に投資しようと考えるでしょう」と言いました。また、為替の話もやめてほしいと説得しました。「為替が乱高下すれば、米国経済にもマイナスになる」と言ったのです。  その後、彼は4年間、企業の固有名詞を出して批判することも、為替を持ち出すこともなかった。信頼関係を守ってくれまし

ないか不安がありましたが、大丈夫でした。 ──「米国第一」を掲げたトランプ氏は、国際社会から厳しい評価を受けることが多かったが、安倍氏から見たトランプ氏の実像とはどんなものでしたか。  現実問題として、日本が彼の標的になったら、国全体が厳しい状況に陥ってしまいます。トランプは常識を超えています。だからこそまず、話し合える環境をつくることが重要でした。米紙ニューヨーク・タイムズには、「安倍はトランプにおべっかを使ってばかりで情けない」とさんざん叩かれました。だけど、「あなたは立派だ」と口頭で褒めることですべてがうまくいくならばそれに越したことはありません。大上段に構えて「米国の政策は間違っている」と文句を言い、日米関係が厳しくなっても、日本にとって何の利益にもならないでしょ